2023年3月11日のWBC(ワールドベースボールクラシック)で侍ジャパン史上最年少勝利投手となった佐々木朗希投手。
2011年3月11日の東日本大震災で父親と祖父母を亡くした佐々木朗希投手にとって…
この3月11日の勝利は特別な意味を持つ日になりました。
今回は、そんな佐々木朗希投手のご兄弟について迫ります。
佐々木朗希投手は三兄弟であること、兄が電通勤務という噂や弟のこと、三兄弟の仲良しエピソードもお伝えしますね。
どうぞ最後までご覧ください。
佐々木朗希は三兄弟!
佐々木朗希選手が3月11日にWBC日本代表としてチェコ戦に先発する。
2011年3月11日。岩手県陸前高田市でまだ9歳だった彼を東日本大地震が襲った。当時37歳の父功太さんと祖父母が津波に流され帰らぬ人となった。
「僕もしっかり向き合って前に進みたい」と語る”令和の怪物”の活躍から目が離せない。 pic.twitter.com/BzweMwMVbL— (@saksak_inv) March 10, 2023
佐々木朗希投手は男3人兄弟の真ん中です。
長男:佐々木琉希(りゅうき) 朗希投手の3つ年上
次男:佐々木朗希(ろうき)
三男:佐々木怜希(れいき) 朗希投手の4つ年下

岩手県陸前高田市で生まれた佐々木朗希投手は、家の外でずっと走り回っているような活発な少年でした。
同市内の高田小学校の3年生の時…
地元のスポーツ少年団に所属していた兄・琉希さんの影響を受け、同じ少年団で野球を始めます。
野球を始めてからは、兄や父親と練習に明け暮れますが…
小学4年生に進級する直前に、東日本大震災で被災し、父親を亡くすことになるのです。
佐々木朗希兄は電通勤務って本当?
【WBC】佐々木朗希を打ったチェコ代表は24歳現役大学生https://t.co/SlDOCXFvry
佐々木の163キロ直球を打ち返し、二塁打を放ったのは24歳のマレク・クラップ。アメリカの大学で腕を磨く現役大学生で、2021年からの3季で計120試合に出場し、打率.380、29本塁打、136打点を記録している。 pic.twitter.com/NmLDgRuy9L
— ライブドアニュース (@livedoornews) March 11, 2023
佐々木朗希投手の兄が電通勤務なのかはわかりません。
高校卒業後は大学に進学し、卒業後は大手広告代理店に就職して、2023年現在は社会人3年目であることだけは確かです。
佐々木が高校野球に打ち込む中、兄は大学へと進学。現在は、大手広告代理店に勤めているという。
引用:FLASH
佐々木朗希投手の兄・琉希さんの就職先は明らかになっていませんが、「電通に就職したのでは?」との噂があります。
おそらく「大手広告代理店=電通?」という考えから推測されたものと考えられますが、明らかな情報ではありません。
琉希さんは、高校時代に岩手県立大船渡高校で野球をやっていて、4番のエースでした。
佐々木朗希投手が東日本大震災で父親を亡くしたのは、9歳(小学3年生)の時。
その後は、琉希さんが父親の代わりとなって、弟たちの面倒を見ていました。
その時の琉希さんは12歳、小学6年生です。
「(長男の)琉希が父親代わりに弟2人の面倒を見てくれて、子どもたちはいつの間にかどんどん成長してくれました」と穏やかに振り返るが、この8年強の苦労は想像を絶する。
引用:日刊スポーツ
兄・琉希さんは佐々木朗希投手を厳しくしつけていたとのこと。
私生活でも野球でも厳しいことを敢えて言い続け、いつも突き放したような態度で接していて、弟を褒めたことはありませんでした。
琉希はすごく弟の朗希に厳しく接していました。
お父さんが長男にはしつけの面で厳しく、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。父が亡くなってしまったので、琉希がその立場をやろうとしていたのかもしれません。
引用:日刊スポーツ
朗希投手に厳しく接していたのは、父親代わりという責任感からでした。
「父親が生きていれば…」と思う時もあったけれども…
「弟たちも頑張っているのだから、自分だけ甘えた考えではいけない」と常に自分に言い聞かせていたとのことです。
兄から厳しくしつけられて育った佐々木朗希投手は、兄を見返してやろう・負けたくないという強い気持ちが芽生えていきます。
それが負けず嫌いの性格となり、現在の活躍に繋がっているんですね♪
佐々木朗希投手は、自分の最大の武器である「負けず嫌い」を育んでくれた兄に感謝していると語っています。
上下関係が厳しく、人に迷惑かけたりすると怒られた。今は優しい。色々強くさせてもらった。
引用:日刊スポーツ
ところで、佐々木朗希投手の「朗希(ろうき)」という名前は珍しいですよね。
実は兄の琉希さんが名付け親なんです。
大人気だった特撮ドラマの「百獣戦隊ガオレンジャー」に登場する「狼鬼」から、当時3歳だった琉希さんが「ろうき」を希望。母の陽子さんは「大人も見てたからすっと入ってきて、人とかぶらないしいいんじゃないかなと思った」と「朗希」に決まった。
引用:スポーツ報知
兄の琉希さんは当時3歳。

「百獣戦隊ガオレンジャー」に登場する「狼鬼(ろうき)」は、悪役の名前なのですが…
漢字は琉希さんと同じ「希」を入れたものの、琉希さんの希望を叶えてあげるご両親の寛容さが伺えるエピソードですね。
佐々木朗希弟は何してる?
2023年3月11日。ありがとう、佐々木朗希。#佐々木朗希 #大谷翔平 #侍ジャパン #WBC2023 #チェコ代表 #日本vsチェコ
▽侍ジャパンVSチェコ戦を速報中!下をクリック!https://t.co/9ALPlMrOuV pic.twitter.com/A1izfnuVW3— 読売スポーツニュース (@YOL_sports) March 11, 2023
佐々木朗希投手の弟・怜希さんは、佐々木朗希投手の母校でもある大船渡高校で野球をやっています。

2023年4月からは高校3年生です。
2022年の高校野球春季大会の岩手県大会では…
準々決勝の盛岡三高戦では1番ショートで先発出場しています。
ロッテ 佐々木朗希の弟も兄と同じ大船渡高校で活躍している。
佐々木怜希 2年
岩手県大会で準々決勝、盛岡三高戦で1番ショートで出場した。 pic.twitter.com/miFgvOmvrS— ∫fxdxせんせい (@sinxcosxtanxdx) May 25, 2022
この時は1安打のみで、残念ながら、チームは1対3で、4強入りを逃しています。
2022年夏の全国高校野球選手権岩手大会では…
1回戦で花泉高と対戦し、5対7で惜しくも初戦敗退となっています。
【 #岩手 】大船渡は花泉に5―7で敗れ初戦敗退…ロッテ・佐々木朗希の弟・怜希は5四球を選ぶも実らず https://t.co/kRqY4iny1I #千葉ロッテマリーンズ #chibalotte #baseball pic.twitter.com/dHatAuWHve
— スポーツ報知 プロ野球取材班 (@hochi_baseball) July 9, 2022
1番ショートで先発出場した怜希さんは、5回には無死満塁で押し出し四球を選び、大船渡高校に1点を入れています。
ちなみに、この日は5個も四球を選んでいるんです。
ピッチャーの投げる球種を見極める力があるということですね♪
1番バッターの緊張感はかなりのものでしょうが、怜希さんはこの日5回も出塁!
1番バッターが出塁すると、チームに勢いがつきます。
怜希さんは攻撃を牽引する存在で、大船渡高校にとってチームを勇気づける大切な選手とのことですよ♪

ちなみに、兄の佐々木朗希投手とは普段、野球の話をすることはないとのこと。
「1番打者として、もっと出塁を増やしたい。甲子園を目指してチーム一丸となってやりたい」と
佐々木朗希投手が高校時代に果たせなかった夏の甲子園出場を誓っています。
2023年は高校3年生で、最後の夏になります。
偉大な兄の弟としてプレッシャーもあるでしょうが、力を出し切って甲子園出場に向けて頑張ってほしいですね♪
佐々木朗希三兄弟の仲良しエピソード
3/11特別な日。
この男が投げるという事が大きな意味を持つ。
そしてきっと今日は震災で亡くした父、祖父母はきっと見てる。チェコ代表に真っ向勝負!世界に翔け佐々木朗希!
#佐々木朗希 pic.twitter.com/XJk9Df0j0J— たけっちゃま🍩️3/18.4/4.4/21(3/15青山) (@Ogiiiiiiii_1000) March 10, 2023
佐々木朗希投手は小学5年生の母の日に、ロールケーキをプレゼントしたとTVの取材で語っています。
小5の母の日は、一家念願の新居で。こっそり買ったロールケーキをガレージに隠し、夕食後に渡した。昔からサプライズ好き。誕生日が母の日に近い陽子さんには、次男・朗希ら3兄弟で感謝と祝福の気持ちを伝え続けてきた。
引用:日刊スポーツ
サプライズでロールケーキをガレージに隠しておいて、夕食後に渡したなんて♪
「とても喜んでくれて嬉しかった!」と話しています。
小学5年生にして、このサプライズ計画はなかなか思いつかないですよね。
おそらく、三兄弟で相談しあってどんなサプライズで母親を喜ばせようか考えていたことが伺えます。

朗希投手の父親が亡くなってからは、1人で3人息子を育ててきた母親の陽子さん。
お互いに愛し愛されて続けてきた家族なんですね。
ちなみに、朗希投手が小学4年生の母の日には、100円ショップで買ったタオルハンカチをプレゼントしたとのこと。
小さい時から、家族にプレゼントを贈る習慣があったということは…
震災前から家族でお互いにプレゼントを渡しあうことが日常的だったと推測できますね。
父親の功太さんも率先して計画していたことが伺えます。

そして…
「プロ野球選手となった今、最愛の母への恩返しは「ありがとう」の言葉と共に、マウンドで躍動する姿を見せること」
と佐々木朗希投手は語っています。
まとめ
以上、佐々木朗希投手のご兄弟についてお伝えしました。
幼い頃に父親を亡くすという辛い経験をしながらも、長男の琉希さんが中心となって家族で支えあってきたことがわかりましたね。
震災の記憶を風化させないためにも、日本代表として「僕が投げている姿で何かを感じてもらえたら」と
その思いを亡き父親に、家族に、被災地に、日本中に届けた佐々木朗希投手。
佐々木朗希投手の背負っているものは大きいと思いますが…
今後もますます活躍されることを期待しましょう。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。