佐々木朗希母親の再婚はデマな3つの理由|職場は住友生命?

2023年3月、侍ジャパンの強化試合で先発登板し、ストレートで自己最速の165㎞を出した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手。

 

そんな佐々木朗希投手の母親が再婚!とSNSで噂になっていましたが…

 

結局デマだったことがわかりました。

 

そこで今回は、佐々木朗希投手の母親について徹底調査!

 

母親の再婚がデマな理由の他、職場や教育方針、朗希投手のヒーローインタビューでのエピソードやプロフィールまで…

 

盛りだくさんでご紹介します♪

 

 

どんなお母さんなんでしょう?子育ての参考にしたいです。教えてください!

 

 

佐々木朗希母親の再婚はデマな3つの理由

 

佐々木朗希投手の母親の再婚はデマな理由には、以下の3つがあります。

 

・亡き夫との仲がとても良かったから

・生き残った家族で懸命に頑張ると決めたから

・3人の子供たちが大好きだから

 

ひとつずつ説明しますね。

 

亡き夫との仲がとても良かったから

佐々木朗希投手は2011年3月11日の東日本大震災当時、岩手県の陸前高田市に住んでいました。

 

そう、陸前高田は大津波が到達し、壊滅的な被害を受けた地域です。

 

佐々木朗希選手は祖父母と両親、兄、弟の7人暮らしでしたが…

 

震災によって父親と祖父母を亡くしています。(祖父はいまだ行方不明のままです)

 

それは佐々木朗希選手が9歳・小学3年生の時のことでした。

 

父親の功太さんは37歳の若さで亡くなっています。

 

 

佐々木朗希投手の母親・陽子さんと父親・功太さんは、評判の仲良し夫婦でした♪

 

高3の夏、甲子園出場を目指した高校野球岩手大会の決勝で惜しくも敗退した朗希投手に「何と声を掛けますか?」と聞かれた際、

 

母親の陽子さんは「髪、伸ばして…かな。私も旦那もこういう時にふざけちゃうんです」と笑いながらコメント。

 

「きっと旦那も『よく頑張ったな』って言うと思います」とも話していました。

 

亡き夫とは似たような考え方で、このコメントからも仲の良さが伺えますね♪

 

これまでもずっと子供たちの成長を亡き夫と一緒に喜び合ってきた母親の陽子さん。

 

仲良し夫婦だったからこそ、他の男性との再婚は考えられなかったと思われます。

 

生き残った家族で懸命に頑張ると決めたから

 

震災で生き残ったのは、佐々木朗希投手・兄・弟の3兄弟と母親の陽子さんの4人だけでした。

 

震災では自宅が流され、仮設住宅の抽選にもなかなか当たらない日々。

 

それでも家族4人の生計を立てるため、母親の陽子さんは必死に働きました。

 

仕事に没頭するため、朗希投手の兄・琉希さんに父親代わりをお願いして、弟2人の面倒を見てもらったとのことです。

 

やっと抽選に当たった仮設住宅は大船渡市にあり、家族4人で移住します。

 

同市内にある猪川小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅。

 

そこで家族4人の新生活が始まりました。

 

生き残った家族4人で「懸命に頑張る」と決めた母親・陽子さんには再婚を考える余裕もなかったと予想できます。

 

3人の子供たちが大好きだから

3人の子供たちを育てるために懸命に働いてきた母親の陽子さん。

 

辛い時も当然あったはずですが、子供たちがいたからこそ頑張ることができたに違いありません。

 

 

佐々木朗希投手はTVの取材で、母の日の話をしています。

 

被災から初めて迎えた小学4年生の母の日には、100円ショップで買ったタオルハンカチをプレゼントしたとのこと。

 

「100円だから喜んでくれないかと思ったけど、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えている」と朗希投手は語っています。

 

また、翌年の小学5年生の母の日には、ロールケーキをプレゼント♪

 

サプライズでガレージにケーキを隠しておいて、夕食後に渡したそうで…

 

「このプレゼントにも、とても喜んでくれて嬉しかった!」と話しています。

 

そして…

 

「プロ野球選手となった今、最愛の母への恩返しは「ありがとう」の言葉と共に、マウンドで躍動する姿を見せること」

 

お互いに想いあっている素敵な家族ですね♪

 

大好きな子供たちのために懸命に子育ても仕事も頑張ってきた母親の陽子さん。

 

愛する子供たちに新しい父親をむかえることは子供たちのためにならない、と再婚のことは考えなかったと予想できますね。

 

佐々木朗希母親の職場は住友生命?

 

SNS等で調べましたが、佐々木朗希投手の母親・陽子さんの職場が住友生命かはわかりませんでした。

 

元々、佐々木朗希投手の両親は共働きでした。

 

父親の功太さんは葬儀店に勤め、母親の陽子さんは保険関係で勤務

 

そして、震災によって、家族は佐々木朗希投手と兄・弟・母親の陽子さんの4人になります…。

 

陽子さんは3人の子供たちを1人で育てるため、被災後はそれまで以上に懸命に働きます。

 

生命保険会社で歩合制の営業職をしていた可能性もありますね。

 

陽子さんがどこの保険会社に勤めているかは明らかになっていませんが…

 

SNS上では「大手生命保険会社の住友生命か日本生命では?」と噂されています。

 

それは、佐々木朗希さんの入団交渉の際に、陽子さんの持っていたバッグが「エルメスのバーキンではないか?」と言われているからです。

 

エルメスのバッグといえば、100万円はくだらない超高級バッグですよね♪

 

バーキンを持つくらいなら、「高収入のはず=大手保険会社勤務?」との考えられた可能性が高いです。

 

とはいえ、どこの会社で働いていたとしても、3人の子供を育てるために懸命にお仕事をされてきたことには間違いありません。

 

佐々木朗希母親の教育方針がユニーク

 

男の子は背が高いほうが何かと有利かな、と考えていた母親の陽子さん。

 

佐々木朗希投手を大きく育てようとある工夫をしていました。

 

それは、「早寝を促すこと」!

 

2000年代後半、岩手県の教育界やスポーツ界では「早寝する子は育つ」という説が口コミで広がっていて…

 

地元の保育士から「子供の背を伸ばしたかったら、夜9時には寝かせなさい」とアドバイスされた陽子さんは、すぐに実践!

 

毎晩8時には就寝の準備をし、明かりを消していたとのことです♪

 

夜8時の早寝のせいで、朗希投手は友達の話すドラマの話についていけなかったとのことですが…

 

「小さい時に、いっぱい食べていっぱい寝たので、それで大きくなった」

 

と早寝効果の高さも、佐々木朗希投手は語っています。

 

「栄養面でも母親が全力でサポートしてくれた。今こうやってプロ野球で野球ができているのは母親のおかげ。本当に感謝しています」

 

と、2020年の母の日にはあらためて母親への感謝の気持ちを述べています。

 

ちなみに、母親の陽子さんは教育ママというタイプではなく、気さくな性格で天然っぽいかんじとのこと。

 

天然っぽいなんて可愛いですね♪

 

そして、子供の意志を尊重する放任主義だとも言われています。

 

大船渡高校時代から、自分で目標を決めてストイックに野球の練習に取り組んでいた佐々木朗希投手。

 

朗希投手の自律心は母親の陽子さんの子育て方針から育まれたものだったんですね♪

 

佐々木朗希母親ヒーローインタビューで号泣

 

2021年5月27日、甲子園球場で行われた阪神タイガース戦でプロ初勝利を挙げた佐々木朗希選手。

 

ヒーローインタビューでウィニングボールを誰に渡すかと問われ、「両親に渡したいと思います」と即答したことで話題になりました。

 

この試合を大船渡市の自宅でTV観戦していた母親の陽子さん。

 

佐々木朗希選手のヒーローインタビューの言葉に号泣したといいます。

 

 

ウィニングボールを「両親に渡す」と言ってくれたのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 

自分だけでなく、「両親に」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。

 

 

実家で見守る母と亡き父の2人への感謝の言葉、母親の陽子さんはさぞかし嬉しかったことでしょうね♪

 

この言葉は陽子さんだけでなく、TVで観戦していた多くの視聴者の心も動かしました。

 

朗希投手が日頃から両親に感謝の気持ちを持ち続けているからこそ、自然に胸の奥から生まれた心動かす言葉となったんですね。

 

朗希投手の父親は野球経験がありませんでしたが…

 

朗希投手とよくキャッチボールをしてくれて、子煩悩で優しかったとのこと。

 

そんな父親が亡くなったのは朗希投手が9歳の時。

 

まだ幼かったけれども、父親の温もりは今も忘れていないし、父親の存在があったからこそ今の自分があると朗希投手は語っています。

 

聖地甲子園での初勝利、ウィニングボールの重みを右手に感じながらのヒーローインタビュー。

 

両親への感謝の気持ちを述べた後、朗希選手はそっと空を見上げていました…。

 

自分が成長し勝利した姿を父親にしっかりと見てもらいたかったのでしょうね。

 

そして今、そのウィニングボールは実家の仏壇に飾られているとのことです。

 

素敵なお話ですね♪

 

立派なお子さんに育っていて、陽子さんはさぞ誇らしいことでしょう。

 

佐々木朗希母親のプロフィール

 

 

名前:佐々木陽子

年齢:49歳(2023年現在)※1974年生まれ

居住地:岩手県大船渡市

 

 

母親の陽子さんは、本当にとっても美人な方ですよね♪

 

スタイルも抜群でモデル並みと言われているんですよ!

 

そして、母親の陽子さんが作る料理はプロ並みの腕前とのこと。

 

佐々木朗希投手は陽子さんの作るハンバーグが大好きなんです♪

 

お肉と一緒に豆腐が入っていて、お店のハンバーグが食べられないくらいの美味しさ!

 

特製ソースが美味しくてたっぷりつけて食べると最高!

 

と嬉しそうにインタビューに答えていました。

 

いつもたくさん作ってくれて、食べたいだけ食べていたんですって!

 

子供が自分の作った料理を美味しいと言って、頬張って食べてくれるのはとっても嬉しいですよね♪

 

母親の陽子さんは、いつも幸せな気持ちでお料理を作っていたんでしょうね♪

 

 

まとめ

以上、佐々木朗希投手の母親の陽子さんについてお伝えしました。

 

美人な上に、お料理も上手で、女で1つで3人の子供たちを育てあげた素敵な方でしたね♪

 

最愛の母への恩返しはマウンドで躍動する姿を見せること、と語っている佐々木朗希投手。

 

母親のためにも、全国の野球ファンのためにも、今後ますます活躍されることを期待しましょう♪

 

令和の怪物は、どこまでストレートの球速を上げられるのかも楽しみですね!

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。



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