渡辺宏の生い立ちに同情「母親にマインドコントロールされてた」


2022年1月27日に埼玉県ふじみ野市で立てこもり事件をおこした渡辺宏容疑者の生い立ちが週刊誌によって徐々に明らかになっています。

渡辺ひろし容疑者の犯行は同情の余地は全くありませんが、生い立ちをよくよく見ていくと母親に洗脳されているがゆえの悲しき犯行であることが分かってきました。

渡辺宏の幼少期「遊び相手がおらず孤独」

渡辺宏は1955年11月に東京都江戸川区で誕生しています。渡辺宏は父親が鍛冶屋、親族が医療機器製作所を営む「比較的裕福な家庭」で育ちました。当時としては珍しく母親も仕事をしており、洋服の仕立屋で腕の良い職人でした。

両親ともに仕事をしていたために、ひとりっ子の渡辺宏は遊び相手がおらず壁を相手にキャッチボールをする日々。

ひとりっ子だと友達とどう関わっていくのか難しいので、普通なら母親が先頭に立って子供の輪に連れて行きそうですが、渡辺宏の母親は特に友達を作ってあげようとはしなかった。母親が渡辺宏に広い世界を見せていなかったことがよく分かります。

渡辺宏の学生時代「友達の作り方が分からない」

渡辺宏は幼少期から友達が少なく一人遊びの多い子供でしたが小学校になっても、一人遊び好きに変化はありませんでした。壁を相手にキャッチボールをしていたくらいなので、外遊びは大好きな渡辺ひろし。

しかし「仲間に入れて」という一言が中々出なかったので、外遊びをしている男子の輪の中には入れません。今まで友達の輪の中に自分から入っていく経験をしたことがなかったのでどう友達とコミュニケーション取れば良いのか分からなかったのです。

正直、卒業アルバムを開いて漸く「こんな人いたなあ」って思い出したくらいなので、影はかなり薄かったと思います。みんな大抵外で遊んだりして男友達は仲良かったので、大抵は覚えているのですが、少なくとも(渡辺容疑者と)一緒に遊んでた記憶はないですね。(渡辺宏容疑者の小学校同級生)

引用:週刊文春

「可愛い子には旅をさせろ」という言葉のように子供のことを本当に考えるのならば、突き放して広い世界を見せるべきですが、渡辺宏の両親は息子を溺愛するあまり息子を囲いすぎました。

その結果、渡辺宏は学校で自分の居場所を見つけることなく、両親と自分の狭い世界がすべてになり、小学校の同級生からは「いたのかも分からないくらい影が薄い」存在だった事が語られています。

渡辺宏の会社員時代「天狗になり住宅ローン」

高校卒業後に江戸川信用金庫(現・朝日信用金庫)の就職した渡辺宏。高卒で信用金庫に勤めることができたことから、学業はよくできたことが分かります。家族からも『蝶よ花よ』と褒めちぎられていたのでしょう。両親は自慢の息子を更に甘やかしてしまいました。

渡辺宏は夕方職場から車で帰ってくると、家の前で彼はプップーとクラクションを鳴らしていました。すると呆れたことにお父さんが家から出て、車庫のシャッターを開けてあげていたのです。

さら40年前のバブルがはじける前は、銀行に就職できたら一生安泰と言われていた時代です。母親はいつも『うちの宏が、宏が……』と、自慢の息子を友達に自慢するほど可愛がっていました。息子・宏が天狗になる要素がバッチリです。

渡辺宏の世界の全てである両親は自慢の息子の言いなり、そして一生安泰と言われていた銀行にも就職したことで天狗の鼻はどんどん伸びていきました。

1981年7月前途洋々な社会人生活を送っていた渡辺ひろしは、家族のためにマイホームを建てるという一大決心をしました。借地の上に建てていた自宅を取り壊すと、1345万円のローンを組み木造2階建てのマイホームを新築したのです。渡辺宏26歳のときです。

独身で両親のためにマイホームをたてるという一大決心をした渡辺ひろし。両親に甘やかされているだけなら家を購入するための住宅ローンを組むなんて事を思いつくでしょうか。両親は甘やかしているふりをしながら息子・ひろしを操っていたことが読み取れます。

しかし息子・宏はそんなことはつゆ知らず、どんどん調子に乗って両親に操られていったことが想像できます。

渡辺宏は横領で失職「エリートからの転落」

住宅ローン契約から3年後、渡辺宏は29歳の時に朝日信用金庫のお金を使い込んだことで懲戒解雇、一気に転落人生を辿ることになりました。当時の悲惨な状況が文春で報じられています。

「会社のお金を使い込み、懲戒解雇になったと聞きました。ローンを返す当てがなく、自宅も売却した。近所の人や友達からも金を借りるようになり、催促されても返せなくなっていった。実際、家の玄関を借金取りがドンドン叩いて、横の窓のほうまで回って『いるんだろ!』と怒鳴ったりしていた。一家は電気を消して居留守を使っていましたが、やがて夜逃げ同然にどこかに行ってしまった」

引用:週刊文春

渡辺宏が懲戒解雇になりローン返済ができなくなったため、両親は離婚。渡辺宏と母は穏やかな暮らしを求めて2人暮らしをスタート、43歳になった渡辺ひろしは江戸川沿いの都営アパート群の一角で生活を始めます。

しかし入居から約2年後、玄関口に「金返せ」という小さな張り紙が貼られるようになりました。渡辺宏は住宅ローンの返済のために闇金融にてを出してしまったのです。そう家計は火の車でした。

「夜7〜8時頃、人相の悪い2人組の男たちが月に3〜4回、玄関のドアを叩いて『金返せ!』って。でも、彼らがそれに応じている様子はなかった。ある日、お母さんが『大きい男の人たちが来て怖いのよ』と不安を口にしたこともあった」』

引用:週刊文春

「大きい男の人が来て怖い」って、何だかヤミ金の話を知らぬ存ぜぬで通そうとしている母親の様子が見てとれますが、裸の王様である渡辺宏は一人でそんな大胆な決断はできません。

はっきり助言はしていないでしょうが住宅ローンを組んだときと同じように、母親の口車に乗せられてヤミ金に手を出したに違いありません。

渡辺宏は借金まみれで妻子別離

渡辺宏43歳で江戸川沿いの都営アパート群で生活を始めたときに、母親の他にじつは妻子がいました。

渡辺容疑者は、20年ほど前まで東京・江戸川区の都営団地で、まだ元気だった実母と2~3歳くらいの子供と同居していた。妻と思しき外国人風の女性も出入りしていたという。

引用:デイリー新潮

人と上手くコミュニケーションが取れない渡辺宏に妻子がいたとは驚きです。結婚相手も母親が見つけてきて、上手く渡辺宏を丸め込んだに違いありません。

しかしヤミ金の取り立てが自宅まで押しかけた事により妻は我慢できなくなったのでしょう。母親のいいなりになる渡辺ひろし愛想尽かしたことも考えられます。

渡辺宏は金欠で自給自足の漁師

2000年頃、ヤミ金の返済に四苦八苦していた渡辺宏と母親は金欠で食べるのにも困っていました。そこで思いついたのが狩猟での自給自足生活だったのです。

なけなしのお金をはたいて猟銃を購入し、埼玉県ふじみ野市に移り住むことでヤミ金からも逃れたかったのでしょう。しかしどうあがいても母親の年金頼みの生活では金欠は解消されずに、生活保護も受給することになりました。

「市から不動産会社に依頼をし、19年3月に賃貸契約を結んだのが、事件当日に親子が住んでいた一軒家です。家賃の5万2000円は市から全額分の家賃補助を出しています。緊急連絡先は市が雇用しているケースワーカー。通常は親戚などが保証人になりますが、身寄りがいなかったので」

引用:週刊文春

身寄りも無く世間からも遮断された渡辺宏と母親の二人、渡辺宏は母親の考えが全てでマインドコントロールをさらに強めていったことは想像に難くありません。

渡辺宏は母の余命宣告で発狂

渡辺宏の全てである母親の体調が回復せず余命宣告されたことで、渡辺宏は人生の道しるべを無くしてしまうという恐怖で正常な判断がつかなくなりました。なんと1個1万円の魔除けとされる盛り塩を2個も購入したのです。

「2個も買ったのかよ、と驚きました。2個で2万円ですからね。僅かな年金と生活保護で暮らしている彼にとっては大金。彼は酒浸りになるタイプではない。でも、最愛の母が弱っていくのを見て、もう正常な判断が出来なくなっていたんでしょうね」(前出・友人)

引用:週刊文春

母親が人生の全てだった渡辺宏はこの時点で正気を失っており、発狂寸前であったことが見てとれます。マインドを母親に完全にコントロールされていた渡辺宏は人生の道しるべを失い発狂してしまったのです。

渡辺宏の犯行は同情の余地は全くありませんが、母親が早いうちにマインドコントロールを解いてあげて広い世界を見せてあげていれば。

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